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歴史

江戸時代と身分制度

江戸時代(1603~1868)の徳川幕府は、国民を4つの階級または3つの部分に分けました:

  • 武士階級

  • 百姓(農民)

  • 町人:職人と商人

江戸時代の身分制度

部落民の祖先は、その身分制度に含まれなかったグループ、すなわちえた・ひにん等階級です。

 

  • えた:肉屋や皮なめし屋など、死や血を扱う職業に就いていた人々。

  • ひにん: ホームレス、売春婦、旅芸人などで、警察官や刑務所の看守などの職業に就くことも多い。

注意!

「えた・ひにん」という言葉は蔑称であり、歴史的のみ

使われるべきです

明治維新と解放令

解放令後の社会の変化

1871年、明治政府は近代化政策の一環として解放令を

施行しました。

その結果、封建的な身分制度は廃止され、身分が変更されました。武士は士族となり、百姓と町人は平民となりました。

えた・ひにん等とのアウトカースト集団は「新平民」と

なりました。

この制定により、アウトキャスト集団は解消されたが、彼らに対する

スティグマは消えることはなく、差別は新たに確立された「新平民」ととも

に続きました。

さらに、近代化政策によって職業選択の自由が導入されました。

その結果、えたは封建時代に享受していた肉屋や皮革職人といった職業の

独占を失いました。彼らの多くは失業し、さらに疎外されることになりました。

注意!


「新平民」 という言葉は蔑称であり、歴史的のみ

使われるべきです

 

改善対策

改善運動は、排斥された人々を対象とした政策の最も初期の形態でした。

三重県は1905年にこれを採用した最初の県でした。風俗習慣の改善や新平民の生活水準の向上に

重点を置いたこの運動は、排斥された集団が直面していた差別について実質的な変化を

もたらすことができず、また状況を改善することもできませんでした。

改善運動に共通する特徴は、それぞれの対象や地域に焦点を当てた別々のグループによって

構成されていたことです。

大和本同志会が設立されると、かつての地域改善グループは、統合と調和を理念とする

間接的なアプローチである「融和の思想」の下に統合されました。

米騒動

“The Rice Riots of 1918 were an important turning point for Burakumin, plunging them into direct action.”

「1918年の米騒動は、部落民を直接行動に駆り立てる重要な転機となった。」

-Kiyoteru TsutsuiのRights Make Might: Global Human Rights and Minority Social Movements in Japan (2018:159)より

米騒動の2大要因は以下の通りである。

  1. 第一次世界大戦によるインフレ (Cangià 2013:79)

  2. ロシア革命の日本への波及を阻止するため、政府がシベリアに派遣した軍隊に大量の米
    支給したこと(KKBM 2018:56)
     

富山の漁師の妻たちが始めた平和的な抗議行動は、やがて全国的な運動となりましたた。デモ参加者は2ヶ月で70万人に達し、現在の経済状況への不満を示しました。

70万人のうち、22府県116市町村の

部落民が暴動に参加しました。多くの部落民が米騒動に参加した理由は、貧困のために米が

買えなかったからでした。

解放令によって、一部の職業において

排斥された部落民が独占的な地位を占め、

それが誰にでも開放されるようになりました。免税などの権利の喪失と相まって、いまや

部落民は悲惨な貧困に置かれ、

過酷な差別を経験しました(KKBM 2018:56)。

起訴された8000人のうち、10%以上が

部落民でした(KKBM 2018:56)。

「三重県のある地域では部落の人だけを検挙し、また和歌山県の別の地域において死刑となった2人がともに

部落出身であるという

事態もあった。」

(KKBM 2018:56).

“This had a strong influence on the emergence of various social movements concerned with the discrimination and exploitation of the poor classes. Up to that time, most of the political activism considered self-improvement to be a solution to the buraku question and explained discrimination as a result of the lower standards of the buraku that only the Burakumin were able to solve. After the riots, however, this attitude changed and the government was finally urged to take responsibility for the improvement of social and economics conditions of buraku.”

 

「このことは、貧困層の差別と搾取に関わるさまざまな社会運動の勃興に

強い影響を与えました。それまでの政治運動は、自己改善が部落問題の

解決策であり、差別は部落民だけが解決できる部落民の水準の低さの結果であると説明するものがほとんどでした。しかし米騒動後、こうした態度は

変化し、ついに政府は部落の社会的・経済的状況の改善に責任を持つよう

求められました」

(Cangià 2013:79)

メディアはそれらの行動に影響を与え、部落民が米騒動の扇動者であると

報道されました。それは偏見がスティグマを悪化させた結果です(KKBM 2018:56)。

 

大規模な騒動のため、政府は1920年に部落改善事業への予算配分を決定したが、

ほとんど効果はなかったです(KKBM 2018:57)。

​“Buraku groups played a large role in the riots, and the experience strongly affected the way people concerned with the issue interpreted the “buraku question.”

「部落グループは米騒動で大きな役割を果たし、その経験は「部落問題」に関わる人々の解釈の仕方に強い影響を与えました。」

 

(Cangià 2013:79)

融和と解放

"The two organizations were different as night and day"

「両方の組織は昼と夜のように違っていた」


 - Christopher BondyのVoice, Silence, Self: Negotiations of Buraku Identity in Contemporary Japan (2015:23)より

1922年に全国水平社が設立された後、被差別部落の代表は解放運動と融和運動の間で分担されましたた。両者が「昼と夜」のように異なるのはなぜかとこれから

説明します。

​融和運動

融和運動は政府資金で行われ、米騒動と

それに続く解放運動の台頭に対する

対抗勢力としての水平社の設立後、

より重要性が強くなりました。

1920年、政府は初の部落対策予算を

導入しました。

  • 部落問題への意識改革を回避

  • 差別の責任は部落民自身にあるこよ

解放運動

解放運動の諸団体は、部落差別や部落民の生活状況の解決に向けた適切なアプローチがなされていないことに不満を

抱いていました。

水平社(最大かつ唯一の代表団体)は、

この問題への直接的な道筋を

提唱しました。

  • 糾弾会を通じた差別者との対峙

  • 積極的な部落アイデンティティの推進

1939年に第二次世界大戦が始まると、両運動は大きな変化を遂げることに

なります。水平社は1941年に解散し、

融和のイデオロギーのもとで活動していた諸団体は同和奉公会に統合されました。

こうして「融和」から「同和」へと名称が変わりました。

第二次世界大戦の終結 -
部落解放運動の復活

第二次世界大戦が終わるとすぐに、部落解放運動家たちは以前の活動に

戻りました。1947年、部落解放全国委員会が設立され、1955年には

部落解放同盟と改称しました。

1960年、融和・同和の考え方を支持する人々が脱退し、

全日本同和会が結成されました。このグループはその後、さまざまな

スキャンダルやイデオロギーの衝突に見舞われ、1986年に全国自由同和会が

設立され、同和運動は分裂しました。

部落解放同盟も同じ運命をたどることになり、内の左翼派閥のメンバーは、

1976年に全国部落解放運動連合会(全解連)を設立することになりました。

同和対策事業特別措置法
1969-2002

1960年、「同和対策審議会」(「同和対策協議会」に改称)が

設置されました。審議会は2回の調査を行い、その結果を1965年の「同和対策審議会答申」にまとめました。

統計資料やそれまでの部落問題の経緯を調査したほか、

解決に向けて必要な施策を列挙しています。これが1969年に

制定された「同和対策事業特別措置法」とその後の法律の基礎となります。

注意!

同和対策事業特別措置法の対象はすべての部落ではなく、対象地区や同和地区と定義されていました。

同和対策事業特別措置法の33年間で、同和地区の環境や社会福祉、教育、職業などの

生活状況は改善されました。

2016年 部落差別の解消の推進に関する法律案

同和対策事業特別措置法は多くの部落民の生活改善に貢献したが、差別は決して解決されませんでした。差別やヘイトスピーチ、スティグマがインターネットなどで拡散する現代において、

本法はその背景を踏まえたものである(第1条参照)。2015年、前述の問題にアプローチする法律を求める声が高まり、2016年12月16日に「部落差別の解消の推進に関する法律

(部落差別解消推進法)」が制定されましたた。

 

同和対策事業特別措置法とは異なり、部落差別解消推進法は財政的支援や環境政策を明確にするものではなく、部落差別の解決に向けた取り組みです。この法律がこの目標に向けてどの

程度貢献できるかは解釈の余地があるが、部落という言葉に直接言及し、部落問題の現代的な

形態を認めているという事実は、それでも一歩前進です。

参考文献

注記:

歴史の参考文献をどのように実装するか悩みましたが、このスタイルを採用しました。参考文献は段階的に追加していきます。これについてすみません。

江戸時代と身分制度:

明治維新と解放令

改善方針 - 改善と融和:

米騒動: 

  • Cangià, Flavia. 2013. Performing the Buraku: Narratives on Cultures and Everyday Life in Contemporary Japan. 1st ed. Münster: LIT Verlag.

  • KKBM = 「これからの部落問題」学習プログラム作成研究会. 2018. はじめてみよう!これからの部落問題学習:小学校、中学校、高校のプログラム. 1st ed. edited by 兵庫部落解放人権研究所. 大阪: 解放出版社.

融和と解放:

第二次世界大戦の終結 - 部落解放運動の復活:

同和対策事業特別措置法

2016年 部落差別の解消の推進に関する法律案

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