Buraku Stories
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- 自己紹介 | Buraku Stories
はじめまして 私はニキ(Niki)で、「部落ストーリーズ」のオーナーと編集者です。 大学で2013年から2018年まで、ハイデルベルク大学で日本学と中国学を学びました。 2015年から2016年まで、東京学芸大学に留学しました。その後、国際基督教大学で 2020年まで社会文化分析という専門として修士課程を卒業しました。 2021年からハイデルベルク大学に戻り、日本学の博士課程を始めました。 部落問題に興味を持ったきっかけは? 日本学の文学と歴史授業の中、部落問題を聞きましたが、2015年から2016年まで日本に 留学した時に部落問題に興味を持ち始めました。日本の社会、詳しく言えば日本にいる マイノリティについての授業を通い、部落問題のテーマが出てきた時、興味が熱心になりました。 自分自身がマイノリティであるため(ドイツに生まれ育てられた東アジア系)、経験している 差別とレイシズムを 単に「民族的、視覚的などに周りと違う」という理由だけで説明しました。 そして、「民族的にも言語的にも違うわけではない」にもかかわらず、部落民がいかに差別されているかを知り、以来、部落問題への好奇心が高め、今も続いています。 その上、背景をオープンにする部落民や、このテーマに関連する研究者や教授に会うことができ、部落での案内に参加できました。このテーマで研究を続ける上で最も大きな要因であり、 私の好奇心を持続させてくれたのは、国際基督教大学での修士課程で指導教官でもあった クリストファー・ボンディーでした。 なんで「部落ストーリーズ」を作りましたか? Project: Buraku Stories (プロジェクト:部落ストーリーズ)は2019年から始まりました。 修士課程中に、さまざまな部落民と、そして彼らが現在直面している問題について話をする 機会がありました。 日本では部落問題がほとんど語られていないこと、この話題に関する英語の文献は増えつつあるとはいえ、日本社会に関する他のトピックに比べればまだまだ少ないこともあり、少しでも部落民の役に立つものを作ろうと考えました。 部落ストーリーズの核心は、部落問題に関する情報をまとめ、広げることです。文献のデータベースを提供すること、部落問題に関連する用語の辞書を作成すること、そして最も重要なことは、情報を英語(およびその他の言語)にすることでによって、部落問題に興味を持っている人にとって簡単に調べることが出来るでしょう。
- 法律 | Buraku Stories
部落問題に関する法律 法律 すべての法律の附則は、スペースの問題から省略されています。これらは後日、別の形で追加されます 同和対策事業特別措置法 1969-1982 地域改善対策特別措置法 1982-1987 地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律 1987-2002 部落差別の解消の推進に関する法律案 2016 同和対策事業特別措置法 1969年~1982年 第一条 (目的) この法律は、すベての国民に基本的人権の享有を保障する日本国憲法の 理念にのつとり、歴史的社会的理由により生活環境等の安定向上が 阻害されている地域(以下「対象地域」という。)について 国及び地方公共団体が協力して行なう同和対策事業の目標を明らかにするとともに、この目標を達成するために必要な特別の措置を講ずることに より、対象地域における経済力の培養、 住民の生活の安定及び福祉の向上等に寄与することを目的とする。 第二条 (同和対策事業) この法律において「同和対策事業」とは、第六条各号に掲げる事項を実施する事業をいう。 第三条 (国民の責務) すべて国民は、同和対策事業の本旨を理解して、相互に基本的人権を尊重するとともに、同和対策事業の円滑な実施に協力するように努めなければならない。 第四条 (国及び地方公共団体の責務) 国及び地方公共団体は、同和対策事業を迅速かつ計画的に推進するように努めなければならない。 第五条 (同和対策事業の目標) 同和対策事業の目標は、対象地域における生活環境の改善、社会福祉の増進、産業の振興、職業の安定、教育の充実、人権擁護活動の強化等を図ることによつて、対象地域の住民の社会的経済的地位の向上を不当にはばむ諸要因を解消することにあるものとする。 第六条 (国の施策) 国は、第一条の目的を達成するため、次の各号に掲げる事項について、その政策全般にわたり、必要な施策を総合的に講じなければならない。 一 対象地域における生活環境の改善を図るため、地区の整理、住宅事情の改善、公共施設及び生活環境施設の整備等の措置を講ずること。 二 対象地域における社会福祉及び公衆衛生の向上及び増進を図るため、社会福祉施設、保健衛生施設の整備等の措置を講ずること。 三 対象地域における農林漁業の振興を図るため、農林漁業の生産基盤の整備及び開発並びに経営の近代化のための施設の導入等の措置を講ずること。 四 対象地域における中小企業の振興を図るため、中小企業の経営の合理化、設備の近代化、技術の向上等の措置を講ずること。 五 対象地域の住民の雇用の促進及び職業の安定を図るため、職業指導及び職業訓練の充実、職業紹介の推進等の措置を講ずること。 六 対象地域の住民に対する学校教育及び社会教育の充実を図るため、進学の奨励、社会教育施設の整備等の措置を講ずること。 七 対象地域の住民に対する人権擁護活動の強化を図るため、人権擁護機関の充実、人権思想の普及高揚、人権相談活動の推進等の措置を講ずること。 八 前各号に掲げるもののほか、前条の目標を達成するために必要な措置を講ずること。 第七条 (特別の助成) 同和対策事業でこれに要する経費について国が負担し、又は補助するものに対するその負担又は補助については、政令で特別の定めをする場合を 除き、予算の範囲内で、三分の二の割合をもつて算定するものとする。 2 前項の場合において、法律の規定で国の負担又は補助の割合として 三分の二を下る割合を定めているもののうち政令で定めるものについては、政令でこれを三分の二とするものとする。 第八条 (地方公共団体の施策) 地方公共団体は、国の施策に準じて必要な措置を講ずるように 努めなければならない。 第九条 (地方債) 同和対策事業につき地方公共団体が必要とする経費については、 地方財政法(昭和二十三年法律第百九号)第五条第一項各号に規定する経費に該当しないものについても、 地方債をもつてその財源とすることができる。 2 同和対策事業につき地方公共団体が必要とする経費の財源に充てる ため起こした地方債は、資金事情の許す限り、国が資金運用部資金又は 簡易生命保険及郵便年金特別会計の積立金をもつてその全額を引き 受けるものとする。 第十条 (元利償還金の基準財政需要額への算入) 同和対策事業につき地方公共団体が必要とする経費の財源に充てるため 起こした地方債で自治大臣が指定したものに係る元利償還に要する 経費は、地方交付税法(昭和二十五年法律第二百十一号)の定めるところにより、当該地方公共団体に交付すべき地方交付税の額の算定に用いる基準財政需要額に算入するものとする。 第十一条 (関係行政機関等の協力) 関係行政機関の長及び関係地方公共団体の長は、同和対策事業が円滑に 実施されるように相互に協力しなければならない。 ページトップへ 地域改善対策特別措置法 1982年~1987年 第一条 (目的) この法律は、すべての国民に基本的人権の享有を保障する日本国憲法の 理念にのつとり、歴史的社会的理由により生活環境等の安定向上が 阻害されている地域(以下「対象地域」という。)について生活環境の 改善、産業の振興、職業の安定、教育の充実、人権擁護活動の強化、 社会福祉の増進等に関する政令で定める事業(以下「地域改善対策事業」という。)の円滑な実施を図るために必要な特別の措置を講ずることに より、対象地域における経済力の培養、 住民の生活の安定及び福祉の向上等に寄与することを目的とする。 第二条 (地域改善対策事業の推進等) 国及び地方公共団体は、前条の目的を達成するため、協力して、地域改善対策事業を迅速かつ総合的に推進するように努めなければならない。 2 国及び地方公共団体は、地域改善対策事業を実施するに当たつては、対象地域とその周辺地域との一体性の確保を図り、公正な運営に 努めなければならない。 3 国民は、地域改善対策事業の本旨を理解して、相互に基本的人権を 尊重するとともに、地域改善対策事業の円滑な実施に協力するように 努めなければならない。 第三条 (特別の助成) 地域改善対策事業でこれに要する経費について国が負担し、又は補助するものに対するその負担又は補助については、政令で特別の定めをする場合を除き、予算の範囲内で、三分の二の割合をもつて算定するものとする 。 2 前項の場合において、法律の規定で国の負担又は補助の割合として 三分の二を下る割合を定めているもののうち政令で定めるものについては、政令でこれを三分の二とするものとする。 第四条 (地方債) 地域改善対策事業につき地方公共団体が必要とする経費については、 地方財政法(昭和二十三年法律第百九号)第五条第一項各号に規定する 経費に該当しないものについても、地方債をもつてその財源とすることが できる。 2 地域改善対策事業につき地方公共団体が必要とする経費の財源に充てるため起こした地方債は、資金事情の許す限り、国が資金運用部資金又は簡易生命保険及郵便年金特別会計の積立金をもつてその全額を引き受けるものとする。 第五条 (元利償還金の基準財政需要額への算入) 地域改善対策事業につき地方公共団体が必要とする経費の財源に充てる ため起こした地方債で自治大臣が指定したものに係る元利償還に要する 経費は、地方交付税法(昭和二十五年法律第二百十一号)の定めるところにより、当該地方公共団体に交付すべき地方交付税の額の算定に用いる 基準財政需要額に算入するものとする。 ページトップへ 地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律 1987年~2002年 第一条 (趣旨) この法律は、国及び地方公共団体が行う地域改善対策特定事業について その円滑かつ迅速な実施を図るため、当該事業に係る経費に対する特別の助成その他国の財政上の特別措置について定めるものとする。 第二条 (地域改善対策特定事業) この法律において「地域改善対策特定事業」とは、 旧地域改善対策特別措置法(昭和五十七年法律第十六号。 以下「旧地域改善法」という。)第一条に規定する地域改善対策事業が 実施された同条に規定する対象地域について引き続き実施することが特に必要と認められる生活環境の改善、産業の振興、職業の安定、教育の充実、人権擁護活動の強化、社会福祉の増進等に関する事業で政令で定めるものをいう。 2 国及び地方公共団体は、協力して、地域改善対策特定事業を円滑かつ迅速に実施するように努めなければならない。 第三条 (特別の助成) 地域改善対策特定事業でこれに要する経費について国が負担し、又は補助するものに対するその負担又は補助については、政令で特別の定めをする場合を除き、予算の範囲内で、三分の二の割合をもつて算定するものとする。 2 前項の場合において、法律の規定で国の負担又は補助の割合として 三分の二を下回る割合を定めているもののうち政令で定めるものについては、政令でこれを三分の二とするものとする。 第四条 (地方債) 地域改善対策特定事業につき地方公共団体が必要とする経費については、地方財政法(昭和二十三年法律第百九号)第五条第一項各号に規定する 経費に該当しないものについても、地方債をもつてその財源とすることができる。 2 地域改善対策特定事業につき地方公共団体が必要とする経費の財源に充てるため起こした地方債は、資金事情の許す限り、国が資金運用部資金又は簡易生命保険及郵便年金特別会計の積立金をもつてその全額を 引き受けるものとする。 第五条 (元利償還金の基準財政需要額への算入) 地域改善対策特定事業につき地方公共団体が必要とする経費の財源に 充てるため起こした地方債で自治大臣が指定したものに係る元利償還に 要する経費は、地方交付税法(昭和二十五年法律第二百十一号)の 定めるところにより、当該地方公共団体に交付すべき地方交付税の額の 算定に用いる基準財政需要額に算入するものとする。 ページトップへ 部落差別の解消の推進に関する法律案 2016年 第一条 (目的) この法律は、現在もなお部落差別が存在するとともに、 情報化の進展に伴って部落差別に関する状況の変化が生じていることを 踏まえ、全ての国民に基本的人権の享有を保障する日本国憲法の理念に のっとり、部落差別は許されないものであるとの認識の下にこれを 解消することが重要な課題であることに鑑み、部落差別の解消に関し、 基本理念を定め、並びに国及び地方公共団体の責務を明らかにすると ともに、相談体制の充実等について定めることにより、部落差別の解消を推進し、もって部落差別のない社会を実現することを目的とする。 第二条 (基本理念) 部落差別の解消に関する施策は、全ての国民が等しく基本的人権を 享有するかけがえのない個人として尊重されるものであるとの理念に のっとり、部落差別を解消する必要性に対する国民一人一人の理解を 深めるよう努めることにより、部落差別のない社会を実現することを 旨として、行われなければならない。 第三条 (国及び地方公共団体の責務) 第三条 国は、前条の基本理念にのっとり、部落差別の解消に関する 施策を講ずるとともに、地方公共団体が講ずる部落差別の解消に関する 施策を推進するために必要な情報の提供、指導及び助言を行う責務を 有する。 2 地方公共団体は、前条の基本理念にのっとり、部落差別の解消に 関し、国との適切な役割分担を踏まえて、国及び他の地方公共団体との 連携を図りつつ、その地域の実情に応じた施策を講ずるよう努めるもの とする。 第四条 (相談体制の充実) 第四条 国は、部落差別に関する相談に的確に応ずるための体制の 充実を図るものとする。 2 地方公共団体は、国との適切な役割分担を踏まえて、その地域の 実情に応じ、部落差別に関する相談に的確に応ずるための体制の充実を 図るよう努めるものとする。 第五条 (教育及び啓発) 国は、部落差別を解消するため、必要な教育及び啓発を行うものとする。 2 地方公共団体は、国との適切な役割分担を踏まえて、その地域の 実情に応じ、部落差別を解消するため、必要な教育及び啓発を行うよう 努めるものとする。 第六条 (部落差別の実態に係る調査) 国は、部落差別の解消に関する施策の実施に資するため、地方公共団体の協力を得て、部落差別の実態に係る調査を行うものとする。 ページトップへ
- 翻訳 | Buraku Stories
翻訳 同和対策審議会答申 (こちらへ ) 同三法 同和対策事業特別措置法 (こちらへ )英語訳もあり 地域改善対策特別措置法 (こちらへ )英語訳もあり 地域改善対策特定事に係る国の財政上の特別措置に関する法律 (こちらへ )英語訳もあり 部落差別の解消の推進に関する法律 (部落差別解消推進法) (こちらへ )英語訳もあり
- 歴史 | Buraku Stories
歴史 目次 江戸時代と身分制度 明治維新と解放令 改善方針 - 改善と融和 米騒動 融和と解放 第二次世界大戦の終結 - 部落解放運動の復活 同和対策事業特別措置法 2016年 部落差別の解消の推進に関する法律案 江戸時代と身分制度 江戸時代(1603~1868)の徳川幕府は、国民を4つの階級または3つの部分に分けました: 武士階級 百姓(農民) 町人:職人と商人 部落民の祖先は、その身分制度に含まれなかったグループ、すなわちえた・ひにん等階級です。 えた:肉屋や皮なめし屋など、死や血を扱う職業に就いていた人々。 ひにん: ホームレス、売春婦、旅芸人などで、警察官や刑務所の看守などの職業に就くことも多い。 注意! 「えた・ひにん」という言葉は蔑称であり、歴史的のみ 使われるべきです ページトップへ 明治維新と解放令 1871年、明治政府は近代化政策の一環として解放令を 施行しました。 その結果、封建的な身分制度は廃止され、身分が変更されました。武士は士族となり、百姓と町人は平民となりました。 えた・ひにん等とのアウトカースト集団は「新平民」と なりました。 この制定により、アウトキャスト集団は解消されたが、彼らに対する スティグマは消えることはなく、差別は新たに確立された「新平民」ととも に続きました。 さらに、近代化政策によって職業選択の自由が導入されました。 その結果、えたは封建時代に享受していた肉屋や皮革職人といった職業の 独占を失いました。彼らの多くは失業し、さらに疎外されることになりました。 注意! 「新平民」 という言葉は蔑称であり、歴史的のみ 使われるべきです ページトップへ 改善対策 改善運動は、排斥された人々を対象とした政策の最も初期の形態でした。 三重県は1905年にこれを採用した最初の県でした。風俗習慣の改善や新平民の生活水準の向上に 重点を置いたこの運動は、排斥された集団が直面していた差別について実質的な変化を もたらすことができず、また状況を改善することもできませんでした。 改善運動に共通する特徴は、それぞれの対象や地域に焦点を当てた別々のグループによって 構成されていたことです。 大和本同志会が設立されると、かつての地域改善グループは、統合と調和を理念とする 間接的なアプローチである「融和の思想」の下に統合されました。 ページトップへ 米騒動 “The Rice Riots of 1918 were an important turning point for Burakumin, plunging them into direct action.” 「1918年の米騒動は、部落民を直接行動に駆り立てる重要な転機となった。」 -Kiyoteru TsutsuiのRights Make Might: Global Human Rights and Minority Social Movements in Japan (2018:159)より 米騒動の2大要因は以下の通りである。 第一次世界大戦によるインフレ (Cangià 2013:79) ロシア革命の日本への波及を阻止するため、政府がシベリアに派遣した軍隊に大量の米 を 支給したこと(KKBM 2018:56) 富山の漁師の妻たちが始めた平和的な抗議行動は、やがて全国的な運動となりましたた。デモ参加者は2ヶ月で70万人に達し、現在の経済状況への不満を示しました。 70万人のうち、22府県116市町村の 部落民が暴動に参加しました。多くの部落民が米騒動に参加した理由は、貧困のために米が 買えなかったからでした。 解放令によって、一部の職業において 排斥された部落民が独占的な地位を占め、 それが誰にでも開放されるようになりました。免税などの権利の喪失と相まって、いまや 部落民は悲惨な貧困に置かれ、 過酷な差別を経験しました(KKBM 2018:56)。 起訴された8000人のうち、10%以上が 部落民でした(KKBM 2018:56)。 「三重県のある地域では部落の人だけを検挙し、また和歌山県の別の地域において死刑となった2人がともに 部落出身であるという 事態もあった。」 (KKBM 2018:56). “This had a strong influence on the emergence of various social movements concerned with the discrimination and exploitation of the poor classes. Up to that time, most of the political activism considered self-improvement to be a solution to the buraku question and explained discrimination as a result of the lower standards of the buraku that only the Burakumin were able to solve. After the riots, however, this attitude changed and the government was finally urged to take responsibility for the improvement of social and economics conditions of buraku.” 「このことは、貧困層の差別と搾取に関わるさまざまな社会運動の勃興に 強い影響を与えました。それまでの政治運動は、自己改善が部落問題の 解決策であり、差別は部落民だけが解決できる部落民の水準の低さの結果であると説明するものがほとんどでした。しかし米騒動後、こうした態度は 変化し、ついに政府は部落の社会的・経済的状況の改善に責任を持つよう 求められました」 (Cangià 2013:79) メディアはそれらの行動に影響を与え、部落民が米騒動の扇動者であると 報道されました。それは偏見がスティグマを悪化させた結果です(KKBM 2018:56)。 大規模な騒動のため、政府は1920年に部落改善事業への予算配分を決定したが、 ほとんど効果はなかったです(KKBM 2018:57)。 “Buraku groups played a large role in the riots, and the experience strongly affected the way people concerned with the issue interpreted the “buraku question.” 「部落グループは米騒動で大きな役割を果たし、その経験は「部落問題」に関わる人々の解釈の仕方に強い影響を与えました。」 (Cangià 2013:79) ページトップへ 融和と解放 "The two organizations were different as night and day" 「両方の組織は昼と夜のように違っていた」 - Christopher BondyのVoice, Silence, Self: Negotiations of Buraku Identity in Contemporary Japan (2015:23)より 1922年に全国水平社が設立された後、被差別部落の代表は解放運動と融和運動の間で分担されましたた。両者が「昼と夜」のように異なるのはなぜかとこれから 説明します。 融和運動 融和運動は政府資金で行われ、米騒動と それに続く解放運動の台頭に対する 対抗勢力としての水平社の設立後、 より重要性が強くなりました。 1920年、政府は初の部落対策予算を 導入しました。 部落問題への意識改革を回避 差別の責任は部落民自身にあるこよ 解放運動 解放運動の諸団体は、部落差別や部落民の生活状況の解決に向けた適切なアプローチがなされていないことに不満を 抱いていました。 水平社(最大かつ唯一の代表団体)は、 この問題への直接的な道筋を 提唱しました。 糾弾会を通じた差別者との対峙 積極的な部落アイデンティティの推進 1939年に第二次世界大戦が始まると、両運動は大きな変化を遂げることに なります。水平社は1941年に解散し、 融和のイデオロギーのもとで活動していた諸団体は同和奉公会に統合されました。 こうして「融和」から「同和」へと名称が変わりました。 ページトップへ 第二次世界大戦の終結 - 部落解放運動の復活 第二次世界大戦が終わるとすぐに、部落解放運動家たちは以前の活動に 戻りました。1947年、部落解放全国委員会が設立され、1955年には 部落解放同盟と改称しました。 1960年、融和・同和の考え方を支持する人々が脱退し、 全日本同和会が結成されました。このグループはその後、さまざまな スキャンダルやイデオロギーの衝突に見舞われ、1986年に全国自由同和会が 設立され、同和運動は分裂しました。 部落解放同盟も同じ運命をたどることになり、内の左翼派閥のメンバーは、 1976年に全国部落解放運動連合会(全解連)を設立することになりました。 ページトップへ 同和対策事業特別措置法 1969-2002 1960年、「同和対策審議会」(「同和対策協議会」に改称)が 設置されました。審議会は2回の調査を行い、その結果を1965年の「同和対策審議会答申」にまとめました。 統計資料やそれまでの部落問題の経緯を調査したほか、 解決に向けて必要な施策を列挙しています。これが1969年に 制定された「同和対策事業特別措置法」とその後の法律の基礎となります。 注意! 同和対策事業特別措置法の対象はすべての部落ではなく、対象地区や同和地区と定義されていました。 同和対策事業特別措置法 1969-1982 地域改善対策特別措置法 1982-1987 地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律 1987-2002 同和対策事業特別措置法の33年間で、同和地区の環境や社会福祉、教育、職業などの 生活状況は改善されました。 ページトップへ 2016年 部落差別の解消の推進に関する法律案 同和対策事業特別措置法は多くの部落民の生活改善に貢献したが、差別は決して解決されませんでした。差別やヘイトスピーチ、スティグマがインターネットなどで拡散する現代において、 本法はその背景を踏まえたものである(第1条参照)。2015年、前述の問題にアプローチする法律を求める声が高まり、2016年12月16日に「部落差別の解消の推進に関する法律 (部落差別解消推進法)」が制定されましたた。 同和対策事業特別措置法とは異なり、部落差別解消推進法は財政的支援や環境政策を明確にするものではなく、部落差別の解決に向けた取り組みです。この法律がこの目標に向けてどの 程度貢献できるかは解釈の余地があるが、部落という言葉に直接言及し、部落問題の現代的な 形態を認めているという事実は、それでも一歩前進です。 ページトップへ 参考文献 注記: 歴史の参考文献をどのように実装するか悩みましたが、このスタイルを採用しました。参考文献は段階的に追加していきます。これについてすみません。 江戸時代と身分制度: 明治維新と解放令 改善方針 - 改善と融和: 米騒動: Cangià, Flavia. 2013. Performing the Buraku: Narratives on Cultures and Everyday Life in Contemporary Japan. 1st ed. Münster: LIT Verlag. KKBM = 「これからの部落問題」学習プログラム作成研究会. 2018. はじめてみよう!これからの部落問題学習:小学校、中学校、高校のプログラム. 1st ed. edited by 兵庫部落解放人権研究所. 大阪: 解放出版社. 融和と解放: 第二次世界大戦の終結 - 部落解放運動の復活: 同和対策事業特別措置法 2016年 部落差別の解消の推進に関する法律案 ページトップへ
- 部落問題 | Buraku Stories
"They are ethnically Japanese, speak Japanese, follow the similar religious and cultural practices as other Japanese, and thereby ought not to be considered a separate ethnic group. The question that invariably follows, then, is this: How do people know who is or is not burakumin." 「彼らは民族的に日本人であり、日本語を話し、他の日本人と同じような宗教的・文化的慣習に従っている。 そこで必ず出てくる疑問がある: 誰が被差別部落民なのか、あるいはそうでないのか、人々はどうやって見分けるのだろうか?」 - Christopher Bondy(ボンディー・クリストファー) Voice, Silence, Self: Negotiations of Buraku Identity in Contemporary Japan (2015:15)により 部落とは 何ですか? 部落とは「村」や「集落」を意味し、誰かの住まいを指す一般的な言葉です。 しかし、部落問題は「特殊・特種部落」と呼ばれる場所に基づいています。特殊・特種部落は、「普通」の部落との「違い」を強調する言葉です。そして、「特殊・特種部落」という言葉が持つネガティブなニュアンスを取り除き、「部落」「被差別部落」という呼称に変更されました。 現在では、その場所を「部落」または「被差別部落」と呼んでいます。 注意! 「特殊・特種部落」という言葉は蔑称であり、歴史的のみ 使われるべきです。 部落民とは誰ですか? 部落民とは、 江戸時代の封建身分制度によって作られたアウトカースト集団の末裔 肉屋などの「穢れ」職業に従事する者 被差別部落に住んでいる者 部落とは、えた・ひにん等のアウトカーストの末裔を指すことが多いが、部落に住んでいた人々や現在も住んでいる人々も含んでいます。被差別部落と同じように、「部落民」とも「被差別部落民」とも呼びます。 「穢れ」の説明は こちらへ 言及した3つの文献は一般的に使われていたもので、現在では廃れています。ここではそれについて述べています。 部落民はどこにいますか? どれほどいますか? 誰かが部落民だと教えない限り、誰にもわかりません。 このことが、部落という言葉が持つ差別やスティグマと相まって、部落民の自由を制限しています。さらに、多くの人は、自分が部落民の子孫であること、かつてのアウトカーストグループであることに 気づいていません。 こうしたことから、現在日本にいる部落民の数ははっきりしないが、150万人から300万人と推定されている。 部落は沖縄と北海道を除く全国にあり、そのほとんどは西日本にあります。 部落問題とは何ですか? 部落問題とは、被差別部落民が受けている差別のことです。 被差別部落のスティグマは、職業や結婚の機会を奪います。 歴史的な問題として語られることが多いが、 現在の日本にも存在します。
- 部落問題に関しての資料 | Buraku Stories
部落問題に関しての資料 Filter by Title Filter by Year Filter through Categories Article Book English Japanese Filter through Tags APEBD Ainu Buraku Culture Discrimination Dōwa Dōwa Area Dōwa Education Dōwa Laws Dōwa Policies Education History Identity Incidents Internet Korean Language Laws Literature Osaka People Policies Prewar Sayama Incident Social Movements Surveys Tokyo Wartime Women Youth 部落差別の謎を解く 川元祥一 2012 2nd ed. 東京: 株式会社にんげん出版. An Introduction to the Buraku Issue: Questions and Answers Kitaguchi, Suehiro 1999 Osaka: Japan Library. Burakumin - a Japanese marginal group: Japan's hidden people fight to gain equality Samel, Swapna 2009 Proceedings of the Indian History Congress 70:785–94. Educational Demands and Institutional Response: Dōwa Education in Japan Hawkins, John N. 1983 Comparative Education Review 27(2):204–26. Introduction of the System of “Mieruka” in Social Disadvantaged Area: The Case of Community and Livelihood Support in Local City INADA Nanami, WAKAMATSU Tsukasa, HOURAI Rino, and MIZUUCHI Toshio 2008 ABSTRACTS of the Annual Meeting, The Human Geographical Society of Japan 2008(0):406–406. Japan’s Modernization and Discrimination: What Are Buraku and Burakumin? Kobayakawa, Akira 2020 Critical Sociology 47:111–32. Affirmative Action Policies Under the Postwar Japanese Constitution: On the Effects of the Dōwa Special Measures Policy McCormack, Noah 2018 The Asia-Pacific Journal 16(5 Nr4). Buraku Invisibility and Policy Making Yano, Ryo 2019 Journal of Welfare Sociology 16(0):33–53. Conflicting Japanese Interpretations of the Outcaste Problem“(Buraku Mondai)” Ruyle, Eugene E. 1979 American Ethnologist 6(1):55–72. Grass-Roots ‘Multiculturalism’: Korean-Burakumin Interrelations in One Community Bayliss, Jeffrey P. 2001 Asian Cultural Studies 27(March). Japanese Politics of Equality in Transition: The Case of the Burakumin Hah, Chong-do, and Christopher C. Lapp 1978 Asian Survey 18(5):487–504. Japan’s Outcaste Abolition: The Struggle for National Inclusion and the Making of the Modern State McCormack, Noah 2013 Oxon, Abingdon, Milton Park: Routledge.
- リンク | Buraku Stories
リンク 目次 社会運動組織 他の組織 研究所 コミュニティ その他 社会運動 組織 部落解放同盟 自由同和会 Buraku Heritage ABDARC 他の組織 反差別国際運動(IMADR) 研究所 京都部落問題研究資料センター 部落解放・人権研究所 部落問題研究所 コミュニティ 人権尊重の矢田まちづくり委員会 その他 リバティおおさか(大阪人権博物館) 水平社博物館
- 解放運動 | Buraku Stories
解放運動 目次 解放への影響 燕会 全国水平社 解放への影響 解放運動への大きな影響のひとつが、米騒動でした。(こちら へ詳しく説明します) さらに、多くの部落民は、部落民の苦境の責任を部落民自身、あるいはむしろ部落民の「態度」に求め、部落エリート、つまり裕福で援助や政策を必要としない部落民が支配する「融和運動」とそのイデオロギーに不満を抱いていました(Cangià 2013:81)。 Aside from the lack of actions by the government and the harmony movement groups, the ideals of self-determination announced by Woodrow Wilson and support by thinkers such as Sano Manabu and Nakae Ch ōmin would influence the liberation movement. 政府や融和運動団体の行動が伴わなかったことはさておき、ウッドロー・ウィルソンが発表した自決の理想や、佐野学や中江兆民といった思想家たちの支持は、解放運動に影響を与えることになりました。 (Teraki 2019:130;Tsutsui 2018:160). 中江兆民は1887年に大阪に移り住み、「渡辺村」(Teraki 2019:130)と呼ばれる排外的な地域に住んでいました。この時期、彼は「部落民」であるかのように論文を発表し始め、現在の排斥された集団が革命の仲間と主張しました(Teraki 2019:131)。Teraki は「[...]この時期の部落問題に対する最も説得力のある見解の一つが中江兆民のものであった」(2019:130)と評価しています。 他方、佐野学は、部落解放に向けた部落民の自主的な組織化を提唱し、他の苦悩する人々とともに闘うことを主張しました。 佐野学の 「特殊部落民解放論」 より 「此種の社会に在りては、もはや何等の存在理由なき歴史的伝統も依然、一の社会的規範として拘束力を有し得るのである。私が此處に論じようとする特殊部落民は、斯る不合理な制度の残す最大の犠牲である。」 (佐野1922:154-155) 「 […]、一千年来の種族的反感に虐げられ来つた穢多族の根本的解放を企つる必要がある。」 (佐野 1922:155) 「所全、特殊部落民の徹底的解放は社会改造の重大なる要素である。社会改造の大業が単にプロレタリや階級の解放を似て終わるべきでない。それは必ず有らゆる苦める人々を包含せねばならぬ。」 (佐野1922:175) 「私は特殊部落の人々の自立的運動と、他の苦しめる人々との結合と、其の上に築かるる社会改造の大理想の上に、始めて此の薄倖なる社会群の徹底的に解放せらるる「善き日」を想像し得るのである。」 (佐野 1922:176) 燕会 全国水平社が成立する以前、後にその創設者となる人々は、1920年に燕会という小規模な団体に集められていました(Teraki 2019:176)。 メンバーの一人である西光万吉は、「[中略]差別のない世界を生きることができるのは社会主義者だけであり、社会主義者になることによってのみ、差別について異なる考え方を見出すことができる[中略]」と考えていましたた(Teraki 2019:177)。 燕会の活動には、地域改革や「差別問題」を理解するための研究会などがあありました(Teraki 2019:177)。また、他の被抑圧集団への共感も非常に強かったです。そして、佐野学の論文「特殊部落解民放論」を読んだとき、解放運動の理念と目標が結晶化し始めました。 すでに存在していた融和運動とは距離を置きつつも、「全国水平社」となる新組織は「自らの努力による解放への道」を基本としていました (Teraki 2019:178)。 全国水平社 創立者 写真: OHRM 2005:5 西光万吉 奈良県生まれ 1895年4月17日~1970年3月20日 清原一陸として生まれ、燕会の創設者の一人でした。旗印をデザインし、他の運動にも参加、共産党員でもでした。 (OHRM 2005:27) 写真: OHRM 2005:27 桜田規矩三 奈良県生まれ 1896年1月10日~1963年12月31日 全国水平社創立には、綱領を読み上げ、中央委員と なりました。故郷の京都では糾弾闘争に参加し、 東七条水平社委員長を務めました。 (OHRM 2005:30) 写真: OHRM 2005:30 坂本清一郎 奈良県生まれ 1892年1月7日~1987年2月19日 裕福な家庭に育ちながら、部落差別に反対しました。 水平社という社名を提案したのも彼です。 戦後は部落解放同盟全国委員会顧問になりました。 (OHRM 2005:27) 写真: OHRM 2005:27 写真: OHRM 2005:28 駒井喜作 1897年5月18日~1945年11月1日 商家に育ち、弁護士になるも部落差別のため職業をやめました。燕会結成メンバーの一人でもあり、部落解放・組合活動に 関わります。宣言を読み上げました。 1927年、労働農民党奈良県連合会書記長に就任、 1931年からは郷里の部落改良に奔走する。 (OHRM 2005:28) 写真: OHRM 2005:28 米田富 奈良県生まれ 1901年2月3日~1988年5月4日 千崎富一郎として生まれ、1921年に西光と出会いました。 1922年、同胞差別撤廃大会で全国水平社のビラを配布。 その後、全国水平社中央委員会委員、出版局長となりました。 1934年以降、西光とともに民族主義の立場から 部落差別撤廃に尽力。 戦後、部落解放同盟奈良県連合会初代会長に就任。 (OHRM 2005:28) 写真:OHRM 2005:29 南梅吉 滋賀県生まれ 1877年5月10日~1947年10月24日 1902年から部落改善運動に関わり、 1921年に坂本と 出会いました。全国水平社中央委員会の委員長となり、 自宅が本部となりました。彼は同僚たちとは違って穏健な考えの持ち主で、融和運動とともに活動しました。 1925年以降、彼は「スパイ事件」によって委員長を 辞任せざるを得なくなり、対抗運動として日本水平社を 結成したが、効果はなかったです。 (OHRM 2005:29) 写真:OHRM 2005:29 平野小劔 福島県生まれ 1891年9月13日~1940年10月25日 1904年に印刷工となり、労働運動におけるアナキズムの一翼を担いました。部落問題への認識を高めようと呼びかけ、 全国水平社創立のメンバーとなりましたた。関東の運動の一翼を担い、彼らを指導しました。南さんと並んで融和運動との密接な関係が批判され、「スパイ事件」で更迭されました。 1927年以降は、より右翼的な立場をとるようになりました。 (OHRM 2005:29) 宣言 綱 領 一、特殊部落民は部落民自身の行動によつて 絶対の解放を期す 一、吾々特殊部落民は絶対に経済の自由と職 業の 自由を社会に要求し以て獲得を期す 一、吾等は人間性の原理に覚醒し人類最高の 完成に向つて突進す 宣 言 全国に散在する吾が特殊部落民よ団結せよ。 長い間虐められて来た兄弟よ、過去半世紀間に種々なる方法と、 多くの人々とによつてなされた吾等の為めの運動が、何等の有難い 効果を齎らさなかつた事実は、夫等のすべてが吾々によつて、又他 の人々によつて毎に人間を冒涜されてゐた罰であつたのだ。そして これ等の人間を勦るかの如き運動は、かへつて多くの兄弟を堕落さ せた事を想へば、此際吾等の中より人間を尊敬する事によつて自ら 解放せんとする者の集団運動を起せるは、寧ろ必然である。 兄弟よ、吾々の祖先は自由、平等の渇仰者であり、実行者であ つた。陋劣なる階級政策の犠牲者であり男らしき産業的殉教者であ つたのだ。ケモノの皮剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥取ら れ、ケモノの心臓を裂く代価として、暖い人間の心臓を引裂かれ、 そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの夜の悪夢のう ちにも、なほ誇り得る人間の血は、涸れずにあつた。そうだ、そし て吾々は、この血を享けて人間が神にかわらうとする時代にあうた のだ。犠牲者がその烙印を投げ返す時が来たのだ。殉教者が、その 荊冠を祝福される時が来たのだ。 吾々がエタである事を誇り得る時が来たのだ。 吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行為によつて、祖先を 辱しめ、人間を冒涜してはならぬ。そうして人の世の冷たさが、何 んなに冷たいか、人間を勦はる事が何んであるかをよく知つてゐる 吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃するものである。 水平社は、かくして生れた。 人の世に熱あれ、人間に光あれ。 全国水平社とその宣言は、部落差別に苦しむ人々の希望の光となりましたた。 宣言文の「吾々がエタである事を誇り得る時が来たのだ」というセリフに象徴されるように、それまで否定的な文脈でしか使われてこなかった「えた」という言葉を、 自ら肯定的に再定義するという行為は、被差別部落民にも肯定的なアイデンティティを与え、 多くの人がそのメッセージと思想に共鳴しました (KKBM 2018:57-58)。 このことは以下のことからもわかります: "1年も経たないうちに、全国に約60の地方水平社支部が誕生し、その数は翌年には約4倍の約240に、1925年にはさらに約3倍の700を超えました。" (Tsutsui 2018:160) 会員数の増加と並行して、機関誌『水平』も盛んになりました(Tsutsui 2018:160)。 水平社の中には、部落問題を優先し、糾弾によって差別と積極的に闘う者たちがいました (Tsutsui 2018:161)。 一方で、「社会主義革命なしには解放はあり得ないと主張した」ように、「より広範な労働者階級」との同盟を通じた道もありました(Tsutsui 2018:162)。 水平社と同時に、融和運動も依然として活発であり、政府によってさらに支援されていました( Tsutsui 2018:162)。 しかし、組織が存在する一方で、水平社の中にはそのイデオロギーを提唱する者もいました。 これら3つ派が単一のグループ内にあることは、内部のイデオロギー闘争が水平社を損なうことを意味していました(Tsutsui 2018:163)。 戦争によって政府の焦点が動員に移ったことで、「水平社の中心的な指導者たちでさえも戦争に支持を貸した[......]」ため、活動主義は放棄された。これが1941年の水平社解散になりました (Tsutsui 2018:163)。 参考文献 Cangià, Flavia. 2013. Performing the Buraku: Narratives on Cultures and Everyday Life in Contemporary Japan. 1st ed. Münster: LIT Verlag. KKBM = 「これからの部落問題」学習プログラム作成研究会. 2018. はじめてみよう!これからの部落問題学習:小学校、中学校、高校のプログラム. 1st ed. edited by 兵庫部落解放人権研究所. 大阪: 解放出版社. OHMR = 大阪人権博物館. 2005. 部落差別と向き合った100人. 大阪: 大阪人権博物館. 佐野学. 1922年. 特殊部落民解放論. Pp. 153–76 日本社会支序論. 同人社書店. Teraki, Nobuaki, and Midori Kurokawa. 2019. A History of Discriminated Buraku Communities in Japan. Amsterdam University Press. Tsutsui, Kiyoteru. 2018. Rights Make Might: Global Human Rights and Minority Social Movements in Japan. 1st ed. New York: Oxford University Press.
- 事件 | Buraku Stories
事件 目次 部落地名総監事件 鳥取ループ裁判 八鹿高校事件 参考文献 部落地名総監事件 1975年には、部落の名称、位置、世帯数、住民の職業などを詳細に記したリストが公表されました。大阪府、奈良県、京都府、兵庫県では、部落への行き方、世帯名、部落の様子など、より詳しい 情報が書かれていました。 発見されたリストは8つがあります(しかし、もっとあったかもしれない)。 私立探偵や探偵事務所が作成したもので、大手企業や220社にのぼる企業が、部落民を避けるために採用する従業員を特定するために購入していました。また、部落民かどうかを調べるために、 子供の相手を断るために使われることもありました。 1989年、法務省はすべてのリストを禁止すると宣言しました。 違法と発表されたリストにもかかわらず、 部落民や部落に関する調査は後を絶たず、 この情報が現代においてもいかに価値ある ものであるとを示しています。 鳥取ループ裁判 2016年2月、鳥取ループ(2012年に「同和地区wiki」を作成した人物)が『全国部落調査』を再出版し、amazonで販売しようとしました。 しかし、「部落の所在を明らかにした文書を販売する行為は差別犯罪である」とされ、鳥取ループの行為は非難されましたた。amazonでは撤回されたものの、鳥取ループのホームページにはまだ掲載されていました。 全国部落調査 中央融和事業協会が1936年に発表したもので、5360地区が含まれています。 鳥取ループ裁判は、「全国部落調査-復刻版-」を出版しようとした鳥取ループとその関係者に対し、出版差し止めとインターネット上の関連情報の削除を求める裁判です。 裁判はあの事件から1カ月後の2016年3月に始まり、現在まで続いています。手続きは裁判所のレベルを経ります。 2021年9月27日、東京地裁は「全国部落調査」の出版とネット掲載を違法とし、鳥取ループに450万円の損害賠償を命じる判決を下しました。これにより、今後いかなる形であれ、リストの配布は禁止されることになりました。 2022年11月16日、東京高裁も「部落リスト」の復刻を禁止した。 鳥取ループ裁判の最新更新は2023年6月28日です。そこで東京地裁は、(前回)判決から除外された16県のうち6県での差止めを認めました。 すべての情報は、裁判の成功のために戦っているABDARC(Anti-Buraku Discrimination Action Ressource Center)のウェブサイト またはフェイスブックページ で見ることができます。 八鹿高校事件 兵庫県にある八鹿高校には、日本共産党の教育指導のもと、部落問題研究会があありました。 部落問題をより大きな労働者階級の闘争の一部ととらえ、部落解放同盟や八鹿高校の部落の 生徒達はこれに反対しましたた。彼らは、部落問題そのものに焦点を当てた新たな研究会の設立と 意識改革を主張しました。 しかし、学校側は新しい研究会の設立を拒否し、生徒たちはハンガーストライキを開始しました。1974年11月22日、教師達はこの状況に不満を訴え、職務を離れました。 その結果、教師達と職場に戻るよう命じた部落解放同盟メンバーとの間で衝突が起こりました。 双方が抵抗し、抗争が始まいました。糾弾闘争は13時間続き、60人が負傷しました。 そのうち48人が入院しました。 インスタグラムで「八鹿高校事件」について2部投稿で紹介しましたた。 第1部は事件についての簡単な説明ですが、第2部は卒業生からの体験や思い出についてです。 こちらへ こちらへ これは八鹿高校の卒業生が作成した動画で、 あの日起こったことを体験談として表しています。 (日本語のみ) 参考文献 部落地名総監事件 https://blhrri.org/old/blhrri_e/news/new101/new10103.htm https://blhrri.org/old/blhrri_e/news/new138/new138-7.htm 鳥取ループ裁判 https://www.facebook.com/ABDARC https://www.abdarc.net/ 対鳥取ループ裁判ってなに/ 八鹿高校事件 Pharr, Susan J. 1990. ‘Burakumin Protest: The Incident at Yoka High School’ . Pp. 75–89 in Losing Face. University of California Press.
- 社会運動 | Buraku Stories
部落問題社会運動 進行中 参考文献と参考文献は後ほど追加します。 目次 改善運動 融和・同和運動 解放運動 全解連 改善運動 内部から改善 したかったこと この運動のグループ一覧 1893年:青年進徳会 1895年:勤倹貯蓄会 1898年:風俗改善同盟会 1902年:備作平民会 1903年:大日本同胞融和 融和・同和運動 同情融和運動とも呼ばれています 部落への同情に基づき、天皇の庇護のもと、部落民と一般住民との融和を図ろうとする運動。 改善運動と融和運動も、部落差別の「責任」は部落民にあると主張しました 改善運動と融和運動の違い 改善運動は、部落差別は部落と部落民の教育や環境を改善することで解決すると考えていました。 融和運動は、一般の人々の部落に対する意識が変われば部落差別は解決すると考えていました。 この運動のグループ一覧 1912年:大和同志会 福岡県にある鎮西公明会 福島町民一致協会 島根県にある出雲同志会 岡山県同志会 1914年:帝国公道会 その後、多くの県に多くのグループが設立されました。 最初の全国規模のグループです。 神奈川県清和会 福井県信和会 富山県融和会 和歌山県同和会 岡山県協和会 鳥取県一心会 鳥根県和敬会 広島県共鳴会 山口県一心会 徳島県融和団体連合会 愛媛県善隣会 高知県公道会 福岡県親善会 大分県親和会 1921年:同愛会 1925年:中央融和事業会 各地域の部落改善・融和グループがこのグループに統一されました 融和運動の行政機関となりました 各都道府県の宥和団体や部落改善事業に補助金を支給。 一般の人々の意識を高め、皇室を巻き込みました。 1941年:同和奉公会と改称。 名称を「融和」から「同和」に変更 融和事業から同和事業など。 戦時中は活動を休止し、わずかな書籍の出版にとどまりました 1946年3月解散 1960年:全日本同和会 同和地区住民を中心に結成され、全国的な運動を起こすことを目指していました。 1986年:全国自由同和会 解放運動 融和・同和運動に反対している部落民です。 政府や周囲の支援や援助に頼るのではなく、自分たちの力で闘う思想。 水平社宣言は部落解放運動の理念となりました。 蔑称とされていた「えた」という言葉を誇れる言葉として使いました 糾弾闘争 この運動のグループ一覧 1920年:燕会 1922年~1941年:全国水平社 1946年~1955年:部落解放全国委員会 1955年~:部落解放同盟 全国水平社(水平社)の詳しい歴史については こちら をご覧ください。 全解連 部落問題を解決するためにより広範な階級闘争を提唱した元グループです。 1976年:全国部落解放運動連合会(全解連)